お役に立つ動画研究所

日活撮影所で「嵐を呼ぶ男」のメイキング見学が19歳の映像修業の初体験でした。

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

テレビ映像とインターネット動画の違いは?

テレビ映像は一回限りの放映を原則としてますから、視聴率確保のために過剰な繰り返しやワイドショーでは発言内容同時タイトルの挿入が多いようです。無論再放送もありますが、テレビ局のディレクターは視聴率が評価対象になるので一発勝負の感覚が強いよう…

映画の父リュミエール兄弟が映画を発明したのが1895年(明治28年)、フイルム時代は「映画」と呼んでましたが、テレビが出現して「映像」の用語も生まれ、現在ではインターネット映像を「動画」と呼び始めました。 誰でも何時でも何処でも「動画」を使えるイン…

昭和30年代のニュース撮影

16mmフィルム1本は100フィート(約30メートル)、撮影時間にして2分45秒程度でした。 簡単なニュース取材、例えば地方の首長が大臣に陳情する場合は1本で撮影完了してテレビ局に持ち帰らなければなりませんでした。その2分45秒から30秒から60秒のニュ…

休日は浅草6区の映画街で12時間映画見てました。

浅草6区(浅草ロック)は自宅から徒歩20分でしたので、月二回程度の休みには朝から夜10時までえいがを見てました。昼飯はアンパンを食べながら連続鑑賞で無論上映途中入場で、時代劇・西部劇・喜劇・スリラー・ロマンス等手当たり次第に見て映画文法(語り方)…

テレビ初期のフィルム用撮影カメラ

昭和32年頃はまだビデオカメラはありませんでした。 ですからニュース撮影も16㎜の外国製カメラが主流で、アメリカのフィルモ、スイスのボレックスを使いました。 昭和32年以降の主な日活映画スターは、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、待田京介、赤木圭一…

日活撮影所で「嵐を呼ぶ男」のメイキング見学が19歳の映像修業の初体験でした。

東京写真短期大学写真学科で写真の勉強とハードな現像アルバイトに多忙でした。 昭和32年(1957)ある日、母が友人の歯医者さんの紹介で日本テレビのカメラマンに会いに行きました。 満州映画協会で修業したカメラマンでテレビ局の委託撮影をされてました。 調…