(南洋の記憶)米機450機、爆撃の雨
■チュークの戦後68年:1
【宮地ゆう】ジャングルのなか、なたをふるいながら進む子どもたちを先導に、山道を行くこと1時間余り。一人が「ボウクウゴウ!」と声を上げた。コウモリが飛び交う防空壕(ごう)の入り口には、高さ2メートルほどの砲台が二つ残っていた。さびたり部品が脱落したりはしているが、原形をとどめている。
ミクロネシア連邦チューク(旧トラック)諸島のウエノ島(春島)にある標高約230メートルのトナチャウ山。砲台や防空壕は、旧日本軍が残した太平洋戦争の跡だ。環礁に守られたチューク諸島には戦時中、連合艦隊の拠点が置かれた。戦艦大和や武蔵も集まる要衝だった。山中の砲身は、海へ向いている。だが、1944年2月17日の米軍の大空襲にはなすすべもなかった。
機関兵として現地にいた渡辺義信さん(90)は雨のような爆撃の中、ボートに乗り込み、爆発したり沈みかけたりした船から海に飛び込んだ人たちを引き揚げた。
「もう死んでいる人もいた。その間にも自分たちが狙われ、船は穴だらけだった」
http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY201309020096.html