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日活撮影所で「嵐を呼ぶ男」のメイキング見学が19歳の映像修業の初体験でした。

ディズニーと宮崎アニメ:ヒロインから見た文化論

5歳になるわたしの娘にジャスミンの衣装が売りつけられている光景を見ると、ジンマシンが出かねない。ヘソ出しルックというほどではないが、5歳の娘が、自分の体をどう認識して、自分の体とどう付き合っていくかに影響すると思う。もっとも、わたしの大きな不満の原因は、物語そのものの質にある。それらの物語が幼い少女たちに教えこむ価値観のことだ。

わたしはそうしたことから、自らが持つギーク的本能によって宮崎駿とスタジオジブリのアニメを知ったことをありがたく思っている。最初に見たのは『千と千尋の神隠し』だが、それ以来、宮崎アニメに惹き付けられてきた。宮崎監督の作品は、娘に忍び寄る「プリンセス病」に対する、必要なワクチンになると感じている。

以下、わたしの娘に、ディズニーのプリンセスものではなく宮崎アニメをロールモデルにしてほしい理由をまとめてみた。

1.「元型」対「個性」

ディズニー・プリンセスが、子どもに対して非常に効果的なマーケティング・ツールである主な理由のひとつは、ジェンダーをとことん単純化して、小さな子どもが理解しやすい図式にしていることだ。プリンセス的なドレスを着れば女の子だし、剣を持てば男の子だ。このようなステレオタイプは、男女差とその影響を理解し始めたばかりの3~6歳児には実に効果的だ。

このように単純化されすぎたジェンダー概念は、少女たちにプリンセス・グッズを売るには効果的なのだが、そのプリンセスがどういった行動をしているのかを検討していくと問題をはらんでくる。

伝統的スタイルのディズニー作品は、古くからある囚われの姫君」モデルに頼っている。『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『シンデレラ』といった物語のヒロインは、状況を打開するための行動を、ほとんど何もしない。ヒロインは自分自身のドラマのなかで主体になっていないことも多い。ただ料理や洗濯、掃除をして、美貌で王子を夢中にさせるだけだ。そしてヒロインに夢中になった王子が、ヒロインが受動的に身を委ねている苦境から彼女を救い出す。

ただし、新しいスタイルのディズニー作品では、少なくとも、物語に登場する女性たちも主体になり、しばしばヒロインは王子を救うために行動する。だがプリンセスの行動は、もっぱら王子との関係のために行われるものだ。

これに対して、宮崎アニメに登場するヒロインは、はるかに複雑な個性を持つ

http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/