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日活撮影所で「嵐を呼ぶ男」のメイキング見学が19歳の映像修業の初体験でした。

九州新幹線CMが、伝説になるまで(1)〜当初は別企画

「伝説」を選択した一社員

 列車に向かって、笑顔で手を振る人たち─。

 社会現象となったNHKの朝ドラ「あまちゃん」の1シーンを見て、「あのCM」を思い出した人がいたかもしれない。15日運行開始した豪華寝台列車「ななつ星」に沿線住民が沸く光景も、「あのCM」を想起させるだろう。
 2011年3月に生まれた九州新幹線全線開通CM「祝!九州」は、国内外で感動を呼び、数々の広告賞を総なめにした。関係者の証言から分かるのは、作品自体が奇跡なら、その制作過程も奇跡の連続だったということだ。いまも色あせない物語を、記録する。

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 「これは、伝説を作るということですね?」

 10年夏。当時弱冠30歳のサラリーマンが告げたひと言が、物語の歯車を動かした。彼は、JR九州鉄道事業本部営業課課長代理(当時は主査)の山元洋輔(33)。全線開通CMの担当者だったが、まだ管理職の一歩手前の立場。

 「こっちを選ぶのか…」。制作する広告代理店最大手、電通(東京)の大物クリエーターたちは山元の真っ直ぐな言葉に、迷わない判断に、驚いた。

 実は、電通が企画段階で提案した案は、完成したCMとは異なる。「祝祭」をテーマに、沿線住民が参加する形は同じだが、新幹線の主要駅で事前に振り付けたダンスを踊ってもらうというもの。しかし、途中で「作為的で面白くないのでは?」との声が上がる。このため、電通が出したもう一つの案が、完成したCMの企画である。

 それは「ドキュメント」だった。鹿児島中央〜博多駅を試運転中の九州新幹線に撮影カメラを搭載し、停車駅など沿線に集まった市民が喜ぶ様子をCMにする、というもの。撮影日は2月20日、しかも時間指定の一発勝負である。


 



 だが、電通の制作チーム内では反対もあった。撮り直しのできないドキュメントは、CMの世界では「禁じ手」だったためだ。連載第2部の主役、電通クリエーターの高崎卓馬も「ありえない手法だった」と指摘する(第2部はこちら)。

 代案はつくったものの、「本当に人が集まるのか?」という根本的な疑問にきちんと答えられる人間はいなかった。電通の制作チームで数少ない九州(熊本県)出身のクリエーターが「(東急)ハンズ開店で徹夜の行列ができるぐらいなので、九州人は来ます!」という、やけっぱちのような言葉が、その代案を後押ししたぐらいなのだ。

 結局、電通は代案だけでなく従来の案も再び提示し、JR九州の判断にゆだねた。そこで出てきたのが、山元のひと言と、代案の採用という決断である。のちに、チームの中枢クリエーターは講演で、山元を「CMのキーマン」と評した。別の関係者は「山元さんの言葉、選択がなければ、後の展開になっていなかっただろう」とまで言う。

 山元は、どんな気持ちで、「伝説」なんてことを言ったのだろうか。
http://qbiz.jp/article/25395/1/